チーム哲学である「一隅を照らすフットボーラー」についての話を。
サッカーは子供を大人にし、大人を紳士にするスポーツとよく言われます。
では紳士的な振る舞いができる人間とはどのような人物でしょうか。
それは包容力ある人間なのだと考えます。
では包容力ある人間とはどのような人間なのだろうか。
さりげない気遣いやサポートができたり、落ち着きがあり、どんな人に対しても心がオープンであり、相手のためを思った意見やアドバイスが言え、自分への自信と謙虚さを兼ね備えている人間だと思います。
改めてもう一度、サッカーは子供を大人にし、大人を紳士にするスポーツです。
ではなぜサッカーで包容力が身につき、紳士的な振る舞いができる人間になれるのか。
それは私が考えるに、サッカーはミスのスポーツだからです。手でボールを扱う訳でなく、目から1番遠い部分の足でボールを扱うスポーツがサッカーです。当然ミスが起こる。自分も味方もミスをします。そのミスのスポーツの中でお互いが勝利のために協力してプレーするのがサッカーです。誰しも他人がミスをして自分が損害を被れば人のせいにしたくなるものです。しかしそれがあらゆる場面でよく起こる。サッカーにおいてその都度いちいち腹を立て、味方選手がミスを犯したことに対して文句や横柄な態度をとる選手がいたりする。味方がミスをしたことに嫌な顔をし、嫌悪感を示したり、怒鳴ったりしても関係が悪化し雰囲気は悪くなり、協力が生まれず試合に負けるだけなのに。
それよりも直ぐに次のプレーのために切り替えて力を発揮できるよう声をかけてあげるほうが効果的で、ミスをしてしまった味方も取り戻そうとやる気になり、チームも勝利に近づくと思います。
そのような包容力のない人物をみると不愉快な気持ちにさせられます。高校生には、紳士的な行動を意識せず、見ていてカッコ悪く恥ずかしい選手にだけはなってほしくない。
サッカーをプレーする上で選手や審判など人を尊重する心を持つことは当然のことです。情熱を注ぐことは大切なことですが、注ぐところを間違え主審や味方と戦っていても得るものは何もないと思います。
沢山の方々が応援してくれています。
「やっぱり比叡山は、負ければ本気で悔しがり、次の勝利に向かって進む。勝てば本気で喜び、相手へのリスペクトを欠かさない、みていて清々しい!」と感動してもらえるようにプレーをしたほうがピッチに立った意味や価値があるのだと思います。卒業後もチームに関わったり、比叡山の試合を見に来てくださる方々はそんな比叡山を応援し支えてくれています。
全国大会に初出場した際も、本当にたくさんの世代を超えた方々から温かいご支援を頂きました。初蹴りには卒業生はじめスクール生、地域の方々など本当に多くの方々が来てくれます。
やはり場面場面で相手の立場に立って行動すること。相手を想うという意識が重要だと思います。
また、紳士的で包容力ある行動は自分自身にかえってきます。
いつも味方に思いやりある正確なパスを出してあげることで、味方はコントロールがしやすく再び自分にも思いやりあるいいパスを返してくれる、その結果、自分はゴールを決めることができる。最初に自分が味方に雑なパスを出せば、味方はコントロールが悪くなり自分には再びいいパスが返ってこない。受けたパスの質が悪ければ勿論ゴールを決めることは難しく喜びは味わえない。自分がされて嫌なことは他人にはしないこと、スムーズに物事を進めるためには思いやりをもって行動することが大切です。
言葉も同じです。一方通行ではコミュニケーションもとれず協力もできず試合は成立しない。またトラブルが起きたら反省する気持ちを持っていなければ、また同じ繰り返しで、いつになっても成長しません。周囲が幸せになるために自分から相手に何かをして、その結果相手がより良くなることで自分の評価や印象がよくなり、思いもよらない喜びや幸せが自分自身にかえって来ます。
オフ・ザ・ピッチから紳士的な行動を心がけている人物は、自然と試合の中でも様々なことに気がつき自分をコントロールしながらプレーできるはず、そうなれば人間的にも尊敬され魅力あるいい選手になれると思います。
サッカーは互いに激しくゴールを奪い合うスポーツです。しかし相手をけなしたり傷つけたりする戦争ではない。プレーしている人も見ている人も、支えてくれている人も勝ったチームも負けたチームもみんなが愉しみ感動したほうがいいに決まってます。
「一隅を照らすフットボーラー」とは
紳士的で包容力ある全力プレーヤーとも言い換えることができると思います。
常にそんな選手を育成していきたいと思います。